Saturday, 26 July 2014

エジプトゆっくり(夢の旅)10日間ナイル河クルーズ

ルクソール着 日本語ガイドがお待ちしております。 日本語スルーガイド同行 ルクソール東岸観光、 世界最大の神殿カルナック神殿観光、 ナイル河クルーズにチェックイン 昼食、クルーズのレストランにて 午後、ライトアップルクソール神殿観光 夕食、クルーズのレストランにて 船中泊  クルーズ・レストランにて朝食 午前、ルクソール西岸観光、 王家の谷 ツタンクアーメンのお墓入場 ハトシェプスト葬際殿 貴族のお墓(ラーモーゼ墓) メムノンの巨像の見学。 昼食、クルーズのレストランにて クルーズがイスナへ進む 午後、エスナ水門を通り、エドフへ進む。 夕食、クルーズのレストランにて 船中泊 12/29 クルーズ・レストランにて朝食 午前、エドフ(ホルス)神殿、鰐のミーラ博物館の見学 クルーズがコム・オンボへ進む 昼食、クルーズのレストランにて 午後、鰐の神殿、コム・オンボ神殿 夕方、アスワンへ進む 夕食、クルーズのレストランにて 船中泊 12/30 クルーズ・レストランにて朝食 朝、アスワン観光、 アスワンハイダム イシス神殿、 切りかけオベリスクと花崗岩の石切り場 昼食、クルーズのレストランにて 午後、ナイル川でファルーカ(帆掛け舟)をお楽しみください。 アスワンバザール(スーク)へご案内いたします。 船中泊 12/31 クルーズ・レストランにて朝食 専用バスにてアブシンベルへ進む 14:00頃、アブシンベル到着 昼食、ホテルのレストランにて ホテルにチェックイン 夕方、アブシンベル神殿の光と音のショー ヌビアレストランにてご朝食
朝早、アブシンベル神殿の日の出 アブシンベル大神殿と小神殿の見学、 ホテルのレストランにて朝食 専用車にてアスワン空港へ 昼食、お弁当 エジプト航空国内線にてカイロへ 夕食、レストランにて ホテルにチェックイン ピラミッド・パーク・リゾート・カイロ(カイロ・ギーザ地区) look at Egypt tours ホテルのレストランにて朝食 午前、ギーザ3大ピラミッドとスフィンクスの見学、 1日300人しか入らないクフ王のピラミド入場、 ピラミドの(パノラマ)展望台でらくだの体験をお楽しみください 昼食は、エジプト名物料理、鳩料理 昼食後、世界最古の建物、4800年前のサッカラ階段式ピラミドの見学、アラバスタースフィンクスなどを 夕食、レストランにて ピラミッド・パーク・リゾート・カイロ(カイロ・ギーザ地区) 01/03 ホテルレストランにてご朝食 エジプト考古学博物館の見学、ツタンカーメンの財宝、ミーラ室にも入場。 昼食をナイル川の水上レストランにて、名物料理、シシカバブを エジプトのグランドバザール、ハン・エル・ハリーリーバザールへご案内します

Saturday, 5 April 2014

ファイユーム

ファイユームは地下水ではなくナイル川が水源になっていることから、厳密にはオアシスとは呼べません。古代からのユーセフ運河は街の中心を流れ、この土地を潤しています。
言い伝えによると、ファラオの建築家であったヨセフがこの運河の建設に携わったと言われています。この建設には1000日、つまりアラビア語でアリフ・ユームかかったことが、この土地の名前の由来です。
カイロからわずか車で2時間程、1年を通して温暖な気候に恵まれ、3世紀プトレマイオス時代にエジプトに伝えられた多くの水車や豊かな農耕地で有名です。綿、クローバー、トマト、薬草、果物などが栽培されています。ファイユーム市のスーク(市場)では金、銅製品、スパイスなどが売られ、週に一度は陶器市も開かれています。
スークに面しているのは5つのアーチを持つハンギング・モスクで、付近には15世紀にスルタン・カイトベイによって建てられたクワワンド・モスクがあります。
ファイユームはファラオ時代からの狩猟地で、また当時はクロコダイロポリスと呼ばれ、セベク神信仰の中心地でした。ファラオ・メナはファイユームで狩りを楽しんでいる際にワニに生命を救われたことから、聖なる池に住むワニはその後、神官たちにより飼育され、神として崇められることになりました。
この地域には多くのファラオ時代の遺跡が残っています。第12王朝アメンエムハト3世により建造されたハワラ・ピラミッド、第12王朝センウセルト2世により建造されたラホーン・ピラミッド、第12王朝アメンエムハト3世と4世により建造されたメディネト・マーディ神殿、中王国時代に建てられたカルーン北にあるカスル・アル・サグハ神殿、さらにファイユームの北30km程にグレコ・ローマ時代のモニュメントがあります。
ファイユーム近郊にはキリスト教のモニュメントやイスラム教のモスクもあります。
カルーン湖付近には、ベドウィンの居住地と漁村があり、また野鳥類も多く生息しています。この砂漠の端にあたる地域では、ボート、ウインド・サーフィン、水泳、釣りなどが楽しめます。ファイユーム付近では他に、アイン・アル・シリィーンの温泉やバハレイヤ方向へ40km程のワディ・アル・ラヤンの滝で水泳、ピクニックが楽しめます。
ファイユーム知事と環境省・観光省との間で、環境、農業、民族芸能、手工芸品などを視野に入れて、ファイユームをエコ・ツーリズム地域にしていく観光方針が確認されました。ファイユームは紀元前2世紀に築かれた自然と文化に富んでいる地域で知られています。ファイユーム知事は、ファイユームは世界の希少動物28種類のうち12種類が正棲息していることに加えて、有史以前、ファラオ時代、ローマ時代、イスラム時代、コプト時代からの固有の考古学遺跡を所有しています。このことからファイユームはエコ・ツーリズムには最適の環境にあると述べています。2003年1月、ファイユームにて、ファイユーム知事、環境大臣、観光大臣及びファイユームの実業家を交えて、率直な意見交換が交わされます。
ハワラ・ピラミッド
ハワラ・ピラミッド
メイドゥームのピラミッド
メイドゥームのピラミッド
カルーン湖
カルーン湖www.lookategypt.com

Egypt experience , look at Egypt tours

Friday, 4 April 2014

エジプト旅行・ツアー 観光(エジブト格安旅行): 聖家族のエジプト訪問の旅

エジプト旅行・ツアー 観光(エジブト格安旅行): 聖家族のエジプト訪問の旅: 聖家族のエジプト訪問の旅は、エジプト史の中でも、大変重要な意味をもっています。それはパレスチナでの難を逃れるためヨセフによる天の言葉に導かれ始まりました。聖母マリアは幼いイエス・キリストを腕に抱いてロバに乗り、ヨセフがロバの手綱を引いて歩を進めました。 エジプトまでの...

聖家族のエジプト訪問の旅

聖家族の旅のImage聖家族のエジプト訪問の旅は、エジプト史の中でも、大変重要な意味をもっています。それはパレスチナでの難を逃れるためヨセフによる天の言葉に導かれ始まりました。聖母マリアは幼いイエス・キリストを腕に抱いてロバに乗り、ヨセフがロバの手綱を引いて歩を進めました。
エジプトまでの道のりは険しく、決して容易なものではありませんでした。砂漠や高原、谷を越え、生命を脅かすいくつもの危険に直面しましたが、一歩づつ歩を進めていきました。
また灼熱の太陽が照りつける砂漠や厳しい夜の寒さ、喉の渇きや食料不足など不測の事態を絶えず懸念し、幼いイエス・キリストの健康状態が心配される、聖母マリアにとって不安は尽きない旅でした。
コプト教の歴史に関わる最も信憑性の高い図書の一つであるセオフィロ神父(アレキサンドリアの教皇の一人)によって書かれた書物によると、聖家族がパレスチナからエジプトへ渡った当時、旅人のルートは3つあったと言われています。しかし、聖家族はそれらのどのルートもとらず、独自のルートを進みました。このことは、聖家族がユダヤ王ヘドロの邪悪な圧政から逃れようとしていたことを考えると明らかで、聖家族が神と天使に導かれエジプトに進んだことがコプト教の殉教史の中に言及されています。
古代の祭壇石・
ムハラク修道院・
アシュート
古代の祭壇石・
ムハラク修道院・
アシュート
聖デミアーナの聖画像・
アブセフィーン教会
・オールドカイロ
聖デミアーナの聖画像・
アブセフィーン教会
・オールドカイロ

聖母マリア聖家族はベツレヘムからガザ、そしてエル・アリシュ(El-Arish)の西約37kmに位置するエル・ザラニーク(El-Zaraniq)という特別保護地域に進み、シナイ半島の北部を通りファルマ(Farma)からポードサイド(Port Said)へ進みました。さらに現在のシャルケイア県(Sharqiah Governorate) ザガジグ市(Zagazig)カイロの北西約100kmに近いテル・バスタ町(Tel Basta)に入りました。イエス・キリストはこの町に水を湧き出させ泉を作りました。しかし、聖家族がこの町に入ると数多くあった偶像が全て大地に倒れ落ちたため、町の住民は聖家族に辛くあたり、聖家族はテル・バスタ町を後にして南へ向かいました。
次に訪れたのはカイロから10km程のモストロド(Mostorod)です。ここは当時アル・マハムマ(Al-Mahamma)と呼ばれていました。この地名は聖母マリアが幼いイエス・キリストの身体を清め、またイエスの着ている服を洗ったことから付けられました。聖家族はパレスチナへ戻る際、再びこの地を訪れます。今でもイエス・キリストが湧き出させた泉を見ることができます。
聖家族はモストロドから北東へ向かいます。
聖母マリア教会の聖画像・モストロド
聖母マリア教会の 聖画像・
モストロド
地下礼拝室への階段・聖母マリア教会・モストロド
地下礼拝室への階段・
聖母マリア教会・モストロド
教会の井戸
教会の井戸

カイロから55km程のシャルケイヤ県(Sharqiah)ベルベイス町(Belbeis)の木陰で休息をとります。後にこの樹木は聖母マリアの木と呼ばれるようになります。この町も帰りに通っています。
ベルベイスを出発して聖家族は北西に向かい、ナイル川を渡りメニエト・サマノード(Meniet Samannoud)の町に入りました。聖家族は住民に歓迎され、イエス・キリストは住民にご加護を授けました。この町には聖母マリアが粉を曵く時に使ったとされる円形の大型花崗岩製の臼があります。またイエス・キリストが祝福した泉もあります。
サマノードの町から聖家族は、北西方向のベロロス(Burullus)地方へ向かい、サクハ(Sakha)の町へ入りました。現在はカフル・エル・シェイク(Kafr El-Sheikh)に属しています。この町にはイエス・キリストの足型が付いている石があることから、コプトと呼ばれています。この石は盗難を避け、何世紀にもわたり隠されていましたが13年前に発掘されました。聖家族の旅の行程でサマノードからサクハまでの途中、ガルビア県(Gharbia)やカフル・エル・シェイク県(Kafr El-Sheikh)などの多数の町を通ることになりますが、幾つかの文献に、バルカス(Balqas)をとったことが記述されています。
石に付いたキリストの足跡・
聖母マリア教会
サクハ カフル・
エル・シェイク
石に付いたキリストの足跡・
聖母マリア教会 サクハ カフル・
エル・シェイク
マルタイル・アバノブ教会内部
サマノード ガルビーア
マルタイル・アバノブ教会内部
サマノード ガルビーア

サクハの町から聖家族はナイル川を渡って、ワディ・エル・ナトルーン(Wadi El-Natroun)に入りました。そしてイエス・キリストと聖母マリアはこの地に恵みを授けました。
その後、聖家族はカイロの方向へ向かい、ナイル川を渡り、マタレイヤ(Matareya)とアイン・シャムス(Ain Shams)に入ります。両地ともカイロ市内から10km程の距離にあります。当時アイン・シャムスには多くのユダヤ教徒が住んでおり、ユニアスというシナゴーグ(ユダヤ人の礼拝堂)がありました。マタレイヤには聖家族が休息をとったと言われている木陰があり、この樹木も聖母マリアの木と呼ばれています。また湧き出た泉をイエス・キリストが飲み、聖母マリアがイエス・キリストの衣服を洗った所からは、香リの良い植物が芽生え、香料の原料になっています。マタレイヤとアイン・シャムスを後にした聖家族はオールドカイロへ進み、途中ザトゥーン(Zeitoun)で休憩をとりました。
聖家族はザトゥーンからオールドカイロに入る途中、聖母マリアの古い教会もしくはエル・エバウェイヤ教会を通りました。幼いイエスの命を狙う者から逃れるため、洞窟に身を寄せ、後にその洞窟内にアブ・セルガ(Abu Seruga)教会が建てられました。その教会があるバビロン地区には聖女マリア教会、聖バルバハ教会、聖ジョージ教会、聖母マリア教会をはじめ、聖ジョージ女子修道院など多数の教会や修道院が建てられています。
聖母マリア教会・ザトゥーン
聖母マリア教会・ザトゥーン

聖家族はカイロ近郊のマアディ(Maadi)へ向かい、現在聖母マリア教会が建てられているアル・アダウェヤ(Al Adaweya)から船で南エジプトへ行きました。マアディは当時エジプトの首都メンフィス(Menphis)地区にありました。現在もなお、聖家族が通った石段は、教会の中庭を通り神聖な場所としてみなされています。
1976年3月12日、コプト教ではバラムハット月(Baramhat)3日目の金曜日、教会に面したナイル川水面に聖書の予言者イサイアーの19章25の「エジプトの民よ」のページが開かれて浮いているのが発見されました。この聖書は聖母教会のガラスケースに納められ、見学者は見ることができます。
聖母マリア教会・ザトゥーン
聖デミアナの聖画像・
聖母マリア教会 マアディ
古代の石段・聖母マリア教会 マアディ
古代の石段・
聖母マリア教会 
マアディ

聖家族はアシュネイン・エル・ナッサーラ(Ashnein el Nassara)の西10kmに位置するアル・ガーノウス(Al Garnous)村、アル・ガーノウス修道院の敷地内に到着しました。聖母教会の西外壁には、聖家族が利用した深い井戸があります。
その後、聖家族はアバイ・イッソウス(Abai Issous)と呼ばれるベニ・マザルの西17km、アル・バフナッサ(Al Bahnassa)の東、サンダファ(Sandafa)へ向かいました。
アル・ガーノウス修道院の井戸 マガーガ
アル・ガーノウス修道院の井戸 
マガーガ
聖母マリア教会内部
アウ・ガーノウス修道院 マガーガ
聖母マリア教会内部 
アウ・ガーノウス修道院 マガーガ

バフナッサを後にした聖家族はサマロウト(Samalout)の町へ南下しました。そしてナイル川を東に向け横断しました。メアディヤット・ベニ・カリッド(Meadeyat Beni Khaled)の南2km、サマロウトの東ガバル・エル・タイール(Gabal El-Tair)(鳥の山)には、現在聖母マリア修道院があります。このガバル・エル・タイールの地名は幾千もの鳥が集うことに由来しています。聖家族は古代教会内にある洞窟で休息しました。コプト教の言い伝えによると、聖家族に向かって大きな岩が落ちてくるのを見たイエスが手を伸ばし止めたことから、ガバル・エル・タイールはガバル・エル・カフ(Gabal El-Kaf)(手の山)とも呼ばれています。
聖家族はガバル・エル・タイールの南を通ると、月桂樹がナイル川に沿って茂っています。そのうちの一本がイエスにお辞儀をして祈ったと言われています。そしてその木はアル・アベド(Al Abed)(崇拝者)と呼ばれています。
アル・アベド(Al Abed)(崇拝者)の木 ナズレット・エベイド ミニア
アル・アベド(Al Abed)(崇拝者)の木 
ナズレット・エベイド ミニア

聖家族はナイル西岸へ渡り、アル・アシュムヌイン(Al Ashmounein)、別名ヘルモポリス・マグナ(Hermopolis Magna)の町へ向け、歩を進めました。
聖家族はコウシア(Qoussia)の西7kmのメイア(Meir)、別名メイラ(Meira)では、住民に歓迎され、イエス・キリストは住民にご加護を授けました。
聖家族はガバル・カスカム(Gabal Qussqam)(カスカム山)へ向かいました。カイロの南327kmのアシュート州にあるガバル・カスカム(Gabal Qussqam)の麓の西側に、アル・ムハラク修道院があります。聖家族は6ヶ月以上、ここの洞窟に滞在しました。後にこの洞窟には聖母教会が建てられました。その教会は修道院の西側に位置しています。幼いイエスがよく祭壇の石に座っていました。この場所は、聖家族が滞在した中でも重要な場所の一つで、第二のベツレヘムとも呼ばれています。
アル・ムハラク修道院に滞在中のある日、ヨセフの夢に天使が現れてこう言いました。
「立ち上がれ。幼な子とその母を連れてイスラエルの地へ行きなさい。幼子の命を狙う人々は死んでしまった」(マタイの福音書第2章20と21)
古代の要塞 アル・ムハラク修道院
古代の要塞 
アル・ムハラク修道院
聖母マリア教会入口 アル・ムハラク修道院
聖母マリア教会入口 
アル・ムハラク修道院

聖家族は来た時とは別のルートを通って帰路を進めました。
アシュートの南西8kmドロンカ山へ行きました。聖家族によってご加護が授けられ、頂上にはドロンカ修道院が建てられました。
パレスチナへの帰路、聖家族はオールドカイロ、マタレイヤ、マハンマ、シナイを通りました。聖書の歴史では、最終的に聖家族はナザレス村で落ち着きました。3年以上に渡るベツレヘムからナザレスへ戻る旅は、2,000kmにも達しました。

バレイヤ・オアシス

バハレイヤ

Image
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2,000平方kmの面積を持つハバレイヤ・オアシスは石英岩と苦灰石の黒い丘に囲まれています。高さ50mの丘、ジェベル・アル・ミイイスラーハの頂上からはオアシスの村々や畑、さらに古い居住地区の一部を飲込む恐れもある広大な砂丘を見下ろすことが出来る。ここは野生生物も多く、ナツメヤシ、オリーブ、アプリコット、米、とうもろこしなどが栽培されています。
バウィティはバハレイヤ・オアシス最大の村で、まるで絵画のように美しい丘の中腹からは、ヤシの木の豊かな林を見下ろすことができます。水温30度のローマ時代からの温泉、アイン・アル・ベシュモがこの林の灌漑の水源です。近隣のアル・カスル村はカラト・ヒルワーハ第26王朝時代の神殿跡地にあり、ここには当時の絵画が残っている墓もあります。バハレイヤはbル・マタール、ビル・ガバなどの鉱泉、硫黄泉で有名ですが、この地はまた地元のベドウィン達には音楽や詩を気軽に朗吟する場所として知られています。砂漠への日帰りの遠出をして戻ってきた後は、カフェでのんびりしながら、シーシャ(水たばこ)を吸ったり、バックギャモンで遊んだり、または本物のベドウィンの音楽を楽しむことができます。
日本人観光客に人気のあるスポットです。
日本人がオーナーのホテルもあります。
(インターナショナル・ホットスプリング ホテル)

白砂漠

バハレイヤ・オアシス方面からの旅行者は、まず黒砂漠を越え、途中にアル・ハイズという小さなオアシスを通 過することになります。付近にはコプト教の絵画が残る教会跡などを含むローマ時代の遺跡があります。
バハレイヤとファラフラの間には広大なゴールデン砂丘が横たわり、この地域は写真撮影には絶好の場所です。さらにアル・シッリーム峠を越えるとその先には白砂漠が広がっています。そこでは風によって不思議な形に削られた岩々が超現実的な世界を作り出し、特に日の出、日の入の時にはミステリアスな風景を楽しむことができます。
ちょうどその時間には月が白い岩々の上に昇り、砂漠にいるというよりも、まるで氷山や雪だまりに囲まれているか、または月面に立っているかのような錯覚に陥ることでしょう。月の出ない夜に焚き火を囲み、空を見上げればそこには美しい銀河が広がり、流れ星で溢れています。ラクダやジープでの白砂漠への旅には温かい食事とベドウィン風に砂の中で焼かれたバンも用意されています。

エジプト1日観光 おすすめ ツアー


 
 ツアー1 :             ギザの3大ピラミッド半日観光(半日コース): (所要時間約2,3時間)

ピラミッドエリアに近づくと、砂漠の水平線に忽然と現れる3大ピラミッド、3大ピラミッドのうち、
1日300人しか入場できないクフ王のピラミッドに入場いたします、回廊を登り玄室へと向かいます。
その後は、ピラミッドを見守るように佇む神秘的なスフィンクス、河岸神殿観光を見学、

3大ピラミッドのパノラューポイントを見学します。
  ツアー2 :             ギザのピラミッド・らくだでゆったり観光 (半日コース):(所要時間約3,4時間)

エジプトに行ったら、らくだに乗ろう!!
ラクダもしくは馬(選択可)に乗り換え、砂漠の風に吹かれながら、ゆったりと
世界遺産のギザの3大ピラミッド、そして、らくだに揺られてピラミッド周辺を遊覧した後、
死後のクフ王が天空を旅する時に使ったと伝えられる太陽の船を見学し大スフィンクス、

河岸神殿観光、3大ピラミッドのパノラマビューポイントをめぐります。
   ツアー3 :             メンフィス、サッカラとダハシュール:(所要時間約5,6時間)

カイロからサッカラ街道を南へ古都メンフィスへと向かいます。
メンフィスでは、アブシンベル大神殿を築いたラムセス2世の像やアラバスター製 のスフィンクスなどを見学。
そして、サッカラではピラミッドの原型とも 言われるジェセル王の階段ピラミッド、ダハシュールでは角度が途中で 変えられた屈折ピラミッド、赤のピラミッドを見学します.
  ツアー4 :              ギザのピラミッド、メンフィス、サッカラ:(所要時間約5,6時間)

3大ピラミッド、(クフ王のピラミッド入場はオプションです)、回廊を登り玄室へと
向かいます。その後は、ピラミッドを見守るように佇む神秘的なスフィンクス、河岸神殿観光
を見学、3大ピラミッドのパノラマビューポイントを見学します。メンフィスへと
向かいます、ラムセス2世の像やアラバスター製のスフィンクスなどを見学。
そして、サッカラではピラミッドの原型とも言われるジェセル王の階段
ピラミッド、


  ツアー5 :             カイロ市内観光(半日コース): (所要時間約3,4時間)

エジプト博物館(ミイラ室入場)、エジプト考古学博物館には、貴重なファラオの遺品から庶民が使った農機具まで、エジプトの栄光を物語る数々の遺品が展示されています。
中でもツタンカーメン王の黄金マスクや棺、贅を尽くした装飾品は必見。

また、ファラオたちが永遠の眠りにつくミイラ室も訪れます。見学の後は、タハリール広場から目抜き通りをドライブし車窓からカイロの町並みを見学します。


  ツアー6 :            カイロ市内観光: (所要時間約6,7時間)

エジプトの歴史的遺産が一同に集められ、日本でも有名なエジプト考古学博物館,有名なツタンカーミンの黄金の品々などをお楽しみください,昼食をお召し上がりいただきます。

午後でイスラーム都市カイロ(1979年、文化遺産) 、カ イロ発祥の地と言われ、古いコプト教会やコプト教の歴史が見られるオールドカイロ、イス ラム地区にある城壁 に囲まれたシタデルやシタデルの中にあるモスクのモハメドアリモスク、ハンハリーリ 市場へご案内いたします。



  ツアー7 :             ワディ・ライアンと世界遺産ワディ・イル・ヒタン日帰りツアー :(所要時間約7,8時間)

午前で自然保護区のワディ・ライヤーンで滝や湖を観光後、新世界遺産のワディ・イル・ヒタン
(鯨の谷)へ(2005年7月にエジプトで初めて世界自然遺産に登録された近年気の観光地です)。

  カイロから車で約2時間、ルートに沿って化石や素晴らしい砂漠の風景をお楽しみ下さい。
  ツアー8 :          ナイル河ディナークルーズ:(約3時間 夕食付き)

カイロの夜景とリッチな夕食を楽しむにはうってつけのエンタテイメント。
カイロに夜のとばりがおりたころクルーズ船は出航します。
エジプト料理を含む多彩なメニューをブッッフェ形式で楽しんだ後、ベリーダンスやスーフィー の旋舞などを楽しみます。


  ツアー9 :          オールドカイロ、(半日コース): (所要時間約3,4時間)
 
オールドカイロは、カイロ発祥の地とも言われてます、古いコプト教会(原始キリスト教会)
とコプト教徒の住む町ということで巡礼や聖地訪問で来られる方も多いようです。
マル・キルギス通りや古い写真売りで歩きますし、聖ジョージ修道院、3~4世紀の初めに
聖母マリアにささげるために建設された最も古い教会のひとつのアル・ムアッラカ教会、
半地下通路に行って、聖バ-バラ教会、ベン・エズラ.シナゴ-クや聖母マリアとキリスト一が 
約100日間を隠れた場所の聖セルギウス教会をご案内します。

もっと時間かある方にコプト博物館も案内します、コプト博物館ではエジプト各地から集められた独特な雰囲気を持つ貴重な遺産がおさめられています.
  ツアー10 :          古代エジプトファラーオの村:(所要時間約4,5時間)

ナイル川に浮かぶ島に作られたファラオ村を案内します、ここでは、古代エジプトの生活を再現した、
   テーマパークです、古代人の格好をしたスタッフが、実際に古代の手法で魚をとったり農業をしたり
   香水、パピルス、つぼや船などを作ったりして楽しめに見せてくれますし、他では見られないです。
さらに10の博物館があります、ピラミッドの作り方がテーマとなっている「ピラミッド作成博物館」、   ミイラ作りが現実的な模型で説明されている「ミイラ作り博物館」、アレキサンダー大王とクレオパトラ  の博物館、ナポレオン博物館、イスラミック博物館、ナセル、サダト元大統領の博物館などもあります。その村の中でも、必見なのはツタンカーメンの墓を再現したコーナーです、実際に発見された当時のままの様子が再現されています。副葬品のレプリカのいくつかあります、



  ツアー11 :          アレキサンドリア日帰り観光 :

アレキサンダー大王によって 、王国の首都として築かれた町。

専用車で「地中海の真珠」と呼ばれるアレキサンドリアへ。早朝、カイロを出発し約4時間でアレキサンドリア到着。到着後、世界最大といわれる地下墳墓コム・エルシュワファのカタコンベ、ポンペイの柱を見学した後シーフード料理の昼食。午後は、地中海に浮かぶようにして建つカイトベイの要塞、国立博物館を見学します、その後カイロへと戻ります。

  ツアー12 :          アブ・メナ観光修道院:

アブ・メナは、1979年に文化遺産として、2001年に危機遺産として登録される。 アレキサンドリアの南西45kmに位置するこの街は4世紀からこの地域で独自に発達したキリスト教、 コプト最大の聖地として栄えました。古代エジプトにおけるキリスト教巡礼の中心的存在だった都市の遺跡。その遺構はほとんど残っていないが、聖メナスの遺体が埋葬されているとされる古代教会の場所に、現在の修道院が建設されました。バシリカのような大建築物の土台は、今でもはっきりと識別できます、


  ツアー13 :          ルクソール日帰り観光(終日コース):

カイロ(空路)→ルクソール観光(空路)→カイロ 
航空機でルクソールへ。
到着後、ナイル川にかかる橋を渡り、西岸へ。王家の谷

(ツタンカーメン王の墓見学はオプションです)、ハトシェプスト葬祭殿、メムノンの巨  像を見学します。昼食後は、東岸のカルナック神殿とルクソール神殿を見学。夕方の飛行 機でカイロへと戻ります。夜にカイロ到着後、専用車でホテルへ。



  ツアー14 :          熱気球でルクソール遊覧飛行(ルクソール発):

ルクソールの大パノラマ観光
気球から生の地と死を地眺めるというとってもロマンチックで思い出になるツアーです。
当日は夜明け前にホテルを出発、約45分のフライトが始まります。
高くまであがったら、地平線を見つめましょう、飛行中は360度のパノラマでエジプトの風景が目の前に広がります。
確かに野外博物館を見たような壮大なエジプトの絶景をお楽しみ下さい。
きっとエジプト旅行の素敵な思い出になります、 感動すること間違いないです。


  ツアー15 :          ピラミッドでの音と光のショー:

ギザのピラミッドがライトアップされ、スフィンクスがエジプトの歴史を語り始めます。

1時間で幻想的な音楽とナレーションが絶妙に照明とあいまって一大スペクタクルが
繰り広げられます。また、夜空に線を描くレーザー光線も印象的。忘れられない思い
出になることでしょう.

日本語のショーは木曜日の第1回目のショーで行われます。
19:30(冬時間) 、20:30(夏時間)。




  ツアーに含まれるもの:
  ツアに含まれないもの:

Tuesday, 25 March 2014

古代エジプト調査隊の歩み

古代エジプト調査隊の歩み

早稲田大学古代エジプト調査隊の活動は1966年のジェネラル・サーベイによって幕を開けた。今でこそエジプトの数多くの遺跡で調査・研究を行っている早稲田隊だが、エジプトでの発掘権を取得するという、その第一歩は非常に困難なことであった。3年をかけ、アジアの国で初めての発掘権を獲得した後、72年、ルクソール西岸マルカタ南遺跡に記念すべき最初の鍬をおろすことができたのである。その後は、ハイテク機器を駆使した独自の方法で精力的に調査を進めていき、クフ王の「第2の太陽の船」やラメセス2世の第4王子カエムワセトが建立した石造建造物の発見、人工衛星によるダハシュール北遺跡の発見など、数々の成果を挙げている。困難さえ次なる成功へのステップにしてしまうバイタリティーこそ、早稲田隊の財産と言えよう

ジェネラル・サーベイ

(一番左が吉村教授)
1966年、早稲田大学3年生だった吉村教授と、同じ志を持つ仲間4名、そして故・川村喜一教授による、日本人として初めてのエジプト踏破調査。この調査では、地中海に近いアレキサンドリアからナセル湖畔のアブ・シンベルまで、ナイル川に沿ってほぼエジプト全域に広がる遺跡群を、約半年間かけて2回にわたって調査した

マルカタ南/ローマ住居址

1972年1月、早稲田大学エジプト調査隊が発掘に当たった最初の地がルクソール西岸マルカタ南遺跡であった。マルカタ南は、正式にはデイル・アル=シャルウィートと呼ばれる地域で、グレコ・ローマン時代に建てられたイシス神殿址がある。発掘はその神域に残るローマ時代の建物址から始められ、先王朝時代の化粧板やスティック、テラコッタ製のランプ、石灰岩製の牛頭神像、コイン、オストラコンなど数多くの遺物が発見された

マルカタ南/魚の丘遺跡

1974年1月からの第3次マルカタ南遺跡発掘調査において、イシス神殿の北方250mに位置する「魚の丘」(コム・アル=サマック)の発掘が開始され、彩色階段が発見された。幅3.5m、奥行き55cm、高さ5cm、踏面に捕虜と「不戦の弓」の絵が交互に描かれているこの階段の発見は、世界的なニュースとなった。続く第4次調査で、この建物址が新王国時代第18王朝のファラオ、アメンヘテプ3世の儀式用のものであると判明。その後も色鮮やかな彩画片が大量に出土し、現在も復元研究が続けられてい

アル=フスタート

1978年から84年まで早稲田隊が発掘調査を行ったアル=フスタートは、カイロの南に位置し、7世紀から12世紀にかけて繁栄したイスラーム時代の都市である。アル=フスタート遺跡からは、東西交流の要地であったことが偲ばれる白磁などの中国陶磁器やガラス工芸品、装飾品など多量の遺物をはじめ、多数の遺物やイスラーム時代の建物址が出土している。なお、84年以降の調査は(財)中近東文化センターに引き継がれている。

クルナ村貴族墓

ルクソール西岸に位置するクルナ村は、新王国時代の岩窟墳墓群が建造されている村で、その墓は村人の住居にもなっている。「魚の丘」との比較研究を目的として、1980年12月から調査は始まった。84年には317号墓から200体にものぼるミイラが発見され、また、86年12月に始まったドゥラ・アブー・アル=ナガ地区の調査では、W4号墓(早稲田隊が発見した墓には「W」の頭文字がつく)から色彩が残る男性彫像や石柱などが発見されている

マルカタ王宮址

王の寝室の壁に残る装飾画
王の寝室の壁に残る装飾画
新王国時代第18王朝最盛期の王、アメンヘテプ3世は、本来ならば死者の地であるナイル川西岸に居を構えた。それがマルカタ王宮である。早稲田隊は1985年12月から、この2km四方にも及ぶ王宮の遺跡調査を開始した。日乾レンガで建造された王宮の壁や天井には色鮮やかな彩画が残されており、また大量の彩画片も発見された。なかでも、王の寝室の天井に描かれていたと考えられるネクベト女神のモチーフについては、原寸大で復元することに成功している。

ピラミッド調査1987年1月、エジプト政府からの要請を受け、早稲田隊はエジプトに現存する最古の真正ピラミッドであるクフ王の大ピラミッドの調査を開始した。遺跡を破壊せずに内部構造を調べることを目的としているため、電磁波レーダー探査機や微小重力計など、最新のハイテク技術を駆使し調査にとりかかった。これにより、大ピラミッド内部の未知の空間や「第2の太陽の船」の発見という大きな成果をもたらされた。

第2の太陽の船

ピットから木片を取り出した時の様子
ピットから木片を取り出した時の様子
1987年のピラミッド調査時で、大ピラミッドの南側、既に54年に発見されている「第1の太陽の船」のピット(竪坑)の西隣でもう1つのピットの存在が確認された。87年10月には、アメリカ隊がピットの蓋石に穴を開け、ファイバースコープで内部の様子を撮影し、分解された木材を確認。93年1月、早稲田隊がその穴からマジックハンドを備えたマイクロ・カメラ・ユニットを入れ、船の木片のサンプリングに成功した。2008年には「第2の太陽の船」の復原プロジェクトが始動し、2011年6月22日には竪穴をふさいでいる石蓋(平均17トン、枚数合計約40枚)の1番目の取り上げが成功した。石蓋の取り上げは完了し、木材の取り上げに向けて作業が進行している。

王家の谷・西谷発掘調査プロジェクト

王家の谷・西谷での作業風景
王家の谷・西谷での作業風景
1988年12月から予備調査を行い、89年8月からは電磁波調査、重力調査、誘電率探査といった複数の物理探査技術を用いて調査を開始した。94年12月には「ヒュッテ」と呼ばれる墓所建造時の監督所址を発見し、その後の調査でこの石組遺構は、第18王朝時代のものと推定された。また、アメンヘテプ3世墓やその周辺地域の調査も実施し、王墓内からは王名の記された木片や、木棺の一部なども出土している。

アブ・シール南丘陵遺跡発掘調査プロジェクト

カエムワセトの石造建造物と日乾煉瓦遺構
カエムワセトの石造建造物と日乾煉瓦遺構
アブ・シール南丘陵遺跡はサッカラの北西に位置する小高い丘にあり、1991年に調査が開始された。丘陵の頂部からはラムセス2世の第4王子カエムワセトの石造建造物や、アメンヘテプ2世とトトメス4世の日乾煉瓦遺構などが発見されている。また、丘陵の斜面からは中王国時代に年代づけられる岩窟遺構、石積み遺構をはじめとする初期王朝時代末から古王国時代第3王朝に年代づけられる活動の痕跡が発見された。さらに、丘陵頂部、カエムワセトの石造建造部の北東約40mの地点からトゥーム・チャペルが出土し、カエムワセト王子の娘と推測される「イシスネフェルト」の石棺が見つかっている。

ダハシュール北遺跡発掘調査プロジェクト

イパイの墓の上部構造
イパイの墓の上部構造
ダハシュール北遺跡は東海大学の情報技術センターと合同で行われた衛星画像の解析を駆使して発見に至った。1995年のサーベイで新王国時代の「イパイ」のトゥーム・チャペル(神殿型平地墓)が発見され、その後の調査で内部の最下層からは「メス」と呼ばれる人物の人型石棺が見つかった。イパイの墓の南からは「パシェドゥ」、西側からは「タ」のトゥーム・チャペルが発見されるなど、新王国時代の墓域が広がっていることが確認された。一方で2005年には「セヌウ」の中王国時代の埋葬が未盗掘で発見され、2007年にもセベクハト、セネトイトエスの中王国時代の未盗掘墓が見つかり、中王国時代にも墓の利用が行われていたことが判明している。

アメンヘテプ3世王墓保存修復プロジェクト

修復後の壁画の一部
修復後の壁画の一部
アメンヘテプ3世王墓の壁画は古代エジプトの美術の中でも最高水準にあり、傑出した文化財であると言える。しかしコウモリが長期間にわたって生息しており、排泄物や微生物によって壁画が汚れており、加えて壁画の崩落や人為的な破壊行為があったことから、深刻なダメージを受けていた。王墓を崩壊の危機から救うため、早稲田大学エジプト学研究所はユネスコ、エジプト考古庁の協力を受け、壁画の保存修復プロジェクトが2001年より開始された。プロジェクトは現在も進行中である。




エジプト旅行・ツアー 観光(エジブト格安旅行): 太陽の船プロジェクトの報告

エジプト旅行・ツアー 観光(エジブト格安旅行): 太陽の船プロジェクトの報告: (この記事は無料メールマガジン『限りなく日刊に近いDaily作治』のお試し版です。2014年4月からメール形式での配信を開始します。ご登録は こちら から) 船坑内の船の部材の取り上げは順調に進んでいます。順調すぎて、保存修復が追い付かない面も出ていまして、取り上げ速度...

太陽の船プロジェクトの報告


(この記事は無料メールマガジン『限りなく日刊に近いDaily作治』のお試し版です。2014年4月からメール形式での配信を開始します。ご登録はこちらから)
船坑内の船の部材の取り上げは順調に進んでいます。順調すぎて、保存修復が追い付かない面も出ていまして、取り上げ速度をスピードダウンすることにしました。また、作業効率を上げるためにクレーンをもう一基作りました。
これは、ただ単に一基より二基の方がより多く取り上げられるという単純な考えだけではなく、4m、5m、いや7mという長尺のものを取り上げるときには一基では不可能だからなんです。東と西にクレーンを据えて間を空け、そこに側板を設置し長尺のものを取り上げるのです。
今のところはまだそのようなものは取り上げ予定に入っていませんが、4mから5mにおよぶキャビンのパネル板が40枚あります。このときには長さもさることながら、幅や重さも重要なポイントとなるでしょう。取り上げ前半の山場です。
これらの作業を行うため2つの補強策をとりました。一つ目は機具や機械そして薬品などの整備です。それと再度、部材の安全性を高めるためのテストを行いました。このテストはこれから先50年100年経っても変質しない、劣化しないという保証をしなければならないので、慎重かつ丁寧に行う必要があり、今でも行っています。もし必要とあれば日本に部材を持ち込んで、カイロでのテストとは別に行うつもりです。これに時間がかかっているので、取り上げた部材が整理棚にたまってしまっています。
それと人材の補強です。修復師は何人いても十分とは言えませんが、やはり統制が取れる人数というのがありますので、多ければいいというものでもありません。今は日本人が少ないので1人か2人増員するつもりですが、意外と日本では修復師の需要が多く、いい人材を確保するのが難しい状況です。
エジプトではG.E.M.C.C.(Grand Egyptian Museum Conservation Center;大エジプト博物館修復センター)において、急ごしらえで修復師を育成しています。しかし急に作れるものではなく、経験もあり、きちんと仕事をする若者を何人か選びました。修復師の仕事は考古学の中でも根気がいるものですから、若くて意欲のある人がいいのです。
というわけで、本年(2014年)3月末までには体制を立てて作業に入ろうと思っています。今後はラマダン(6月中旬)までの約3か月間が大切な時となるでしょう。今回、タイミングが良く、エジプトのアル=アハラム紙が取材に来て下さり、記事が掲載されました。